レプリカ製作を通じて貴重な資料を活用されているお客様の事例を資料に対する思いとあわせてご紹介します。
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同志社の創立者 新島襄の生涯を今に伝える |
レプリカ製作資料 |
製作の流れ |
完成写真 |
同志社社史資料センター様にお話を伺いました。 |
このような形で展示活用されています。 |
同志社大学 同志社社史資料センター様
同志社の創立者 新島襄の生涯を今に伝える
同志社社史資料センター様は、同志社の創立者である新島襄が残した一次資料をはじめ、創立以来の同志社諸学校関係資料を収集、整理、活用し、デジタル化した新島遺品庫資料をインターネット上に公開するなど同志社教育の歴史と伝統を後世に伝える活動を行っています。
また京都今出川キャンパスにありますハリス理科学館同志社ギャラリーや、新島旧邸に隣接しています新島会館別館では、その新島氏の足跡や学校の歩み、建学の精神を紹介する貴重な資料の数々が展示されています。
レプリカ製作資料
工房レストアでは今回以下3点の貴重資料のレプリカ製作を手掛けさせて頂きました。
(以下、資料説明は同志社社史資料センター様から伺ったものです)
新島旧邸遺産相続建物図面
1890年(明治23年)に新島襄が亡くなった後、「新島旧邸」は妻である八重が相続しました。この図面は相続登記と同じ日付が記載されていることから、遺産相続の登記をする際に添付した図面の控えと考えられます。
新島旧邸2階借用の約定書と安東長義の差入書
※写真は安東長義の差入書
「新島旧邸」は1907年(明治40年)に八重から同志社へ寄附されます。その後、同志社によって建物は保存管理がされましたが、1947年(昭和22年)5月に進駐軍の軍属とその家族が2階の2部屋を借用し、居住しました。その貸室に関する約定書と、それにともない付属屋に管理者として居住した同志社の元理事、安東長義の差入書のレプリカを作製し、今回の展示では2階借用の約定書のほうを展示しています。戦後、多くの家屋、建物が進駐軍に接収されましたが、「新島旧邸」もその影響を受けることとなります。
西洋野菜・果物の苗送り状(津田仙書状)
1876年(明治9年)に津田仙から新島襄へ送られた苺や梨、林檎、アスパラガスなどの果物や西洋野菜の苗の送り状。津田仙は西洋野菜・果物の日本への導入に寄与した人物として知られています。2人は青年時代からの知り合いでした。送られた苗は新島旧邸の南側(現在の新島会館あたり)の畑に植えて育てられ、収穫した西洋野菜などは、食卓にのぼりました。新島夫妻の西洋風の食生活の様子がうかがえる資料です。
レプリカ製作の流れ
①原本の撮影・スキャニングを行い、レプリカ製作用画像データを作成します。歪みを等修正し原本と外寸を揃えたデータを一旦テスト出力します。出力紙は紙質や紙厚を合わせた和紙にインクジェット処理を施したものを使用します。この状態で原本と見比べて、明るさや色味、明瞭さの違いを記録します。 |
②データ上で罫線・文字・シミ等の情報を抜き出し、記録をもとにそれぞれの色味を調整します。調整したものを出力し、原本と見比べて違いを記録(校正)し…といった流れで、調整→出力→校正を何度も繰り返して行い、原本に近づけていきます。 |
なぜパーツを分けて色調整をするのでしょうか?原本に書かれたパーツ(罫線や文字、判子、シミ等)はみな同じ条件で紙の上に乗っている訳ではありません。色は勿論ですが、光の反射、紙繊維への浸透具合も違います。複製製作ではそれらを単一のインクで再現することになります。 |
上が調整なしの複製。下が調整ありの複製です。 |
③出力でできるかぎり原本まで近づけたら、原本の特徴を更に再現するために必要に応じで手彩色や古色加工を施し折れやしわの再現も行い風合いを出していきました。 |
完成写真
新島旧邸遺産相続建物図面
新島旧邸2階借用の約定書(左)と安東長義の差入書(右)
西洋野菜・果物の苗送り状(津田仙書状)
同志社社史資料センター様に今回のレプリカ製作対象資料についてお話を伺いました。
撮影データをパネルにしたり紙にそのままコピーされるのではなく、
出力紙や立体的な風合い再現まで行ったレプリカをご採用頂きました理由をお伺いできますでしょうか?
パネルは資料を拡大できるので字が見やすいという点はありますが、同じ資料を用いて異なる視点による展示が企図された時に違う部分やページを見せたい場合、新たに作製しなければなりません。また保管に場所を取ることになります。コピーの場合は、直接触れる展示などに有効な場合もありますが、新島会館別館、旧邸での展示は常時人員が配置されておらず、この展示方法は取れません。またコピーもパネルも劣化の進み具合が大きく、短期間で劣化してしまうことが多いです。
レプリカの作製には、一部分のみを再現するのか(例えばあるページの見開きのみを再現し、ほかのページは白紙にする、など)、全ての情報を再現するのか、など作製者(発注者)の考えが反映されます。今回のレプリカ作製には、できるだけ多くの情報を入れたいと考えました。その「できるだけ多くの情報」の中には、内容のみでなく、虫損の穴や、紙や墨の風合いなども含まれます。そこには、限られた予算の中で同じ資料のレプリカを作製するのは難しいため、一つの資料によって今後の様々な目的の展示利用にできるだけ備えたい、という消極的な理由もあります。
また、レプリカ作製には現状複製(現在の状態を複製)と復元複製(当初の状態を復元して複製)がありますが、今回は現状複製をしました。厳密にいえば、昨年作製した現状複製と今年作製する現状複製は異なるはずです。その時の原資料がどのような状態であったのかを写し取る作業といってもいいかと思います。それは原本資料に対する一種の記録、写本を作る作業になり、写本はそれ自体が資料となりうるものです。これが積極的な理由です。
もちろんレプリカ自体も劣化していきますが、原本よりも丈夫な素材で作製することも可能であり、実際、これまでのところ環境がいいとはいえないなか、長期にわたる展示にも耐えてくれています。原本を守りながらも原本の体裁と雰囲気、質感を感じとっていただきたいです。(同志社社史資料センター社史資料調査員 様)
このような形で展示活用されています。
西洋野菜・果物の苗送り状(津田仙書状)が新島旧邸にて展示されています。 |
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新島旧邸2階借用の約定書(左)と新島旧邸遺産相続建物図面(右)が 新島会館別館にて展示されています。 |